擬卵

1:踊り子

妻との出会いは、デパートでだった。
地方で、町の中心部から一五分ほど車を走らせると辺り一面畑になってしまうような田舎町だった。
その田舎町の中の一番大きい、デパート、というよりは、百貨店、という響きが相応しいような場所で、
私は妻に出会った。

その日は掛林氏と、珍しく外で会っていたのだった。
友人がひらいたレストランだから行ってみたい、と掛林氏がいうので私が車を出した。
酢豚が来た時あまりにもそれが安っぽい蛍光オレンジ色をしていたのでビックリしたが、
味はなかなかだった。
掛林氏の反応は私よりももっと過激で、
その皿を前に思いっきり顔を歪めてから食べて、目を丸くし、
「見かけじゃ分からないものだねぇ」と言ってからニコニコするのだった。

デパートをあとにする時、背後から妙な音楽が聞こえてきた。
小さなCDプレイヤーで音量を無理矢理最大にしてあるのがわかる。
振り向くと、もう一つの出入り口の横の小さなスペースに人がわらわらと集まっていた。
私は近寄って、人の頭と頭の隙間から覗いてみた。

踊り子だった。
五、六人くらいいただろうか。数はよく覚えていない。
踊りの事は全く知らないので、何風の踊りなのかも分からなかったが、
和風でも洋風でもない振り付けで、どちらかと言えばインド風かもしれない。
手を合わせたり、横に広げたり、ゆったりと羽ばたくような動きをしたり、
しかし頭は、というより上半身は、常に床から垂直になっている。
その踊り子たち、というより踊るオバサン達、の中にいたのが、今の私の妻だった。

今でもあそこにいた彼女を見た時の事を思い出す。
見えない糸で頭を上から吊るされているかのように真っ直ぐな姿勢で踊る彼女を、
どんなポーズでも真顔でこなすあのしなやかな姿を思い出す。
周りのダンサーが蝋でできた偽物の踊り子に見える。
彼女からだけ、ちゃんとした人間の匂いがするのだった。

「へえ。踊り子か」
いつのまにか背後にいた掛林氏が言う。
「あの子、綺麗だねぇ」
掛林氏が見る先には、やはり彼女がいた。
「うん。上手だ。華やかだし」
ブツブツ隣でいう掛林氏の声も届かないほど、私は彼女に見入ったのだった。

妻はシュロルダンサーだ。
心の底からシュロルを愛し、シュロルを踊る為にこの世に産み落とされたかのように、
今日も、シュロルを踊る。

***

二人がツガイになって三年後にその家は建てられた。
夫、朱人(アヤト)が自分の作品をいくつか買ってくれた建築家の友人に依頼したその家は、
上から見ると、コの字型になっている。
真ん中に中庭があり、それを挟んで朱人の寝室とアトリエ、
妻、葵(アオイ)の寝室と、踊りのためのだだっ広い空間に別れ、
その二つスペースを結ぶ細長い部屋は、ダイニングキッチンになっている。
生活のパターンとテーストが全く違う二人のために設計されたその家は、
まさにあの頃の二人にとっては、逃げるための手段だったのかもしれない。

「ねえ、アヤさん」
葵は大抵、ひょっこり朱人のアトリエに顔を出して、突然声をかける。
二人の家にはトイレと風呂以外、ドアがない。
雨の日以外は中庭に面しているガラス戸さえも開け放している事が多い。
「なに」
「お昼、残りのシチューでいい?」
「ああ。ありがとう」

今日も朱人はろくろを回し、葵はシュロルを踊る。
土の香いとシュロル用の線香の香いが入り交じるキッチンで、
妻は自作のシチューを暖め、夫の作った土色の器に入れる。


春先に葵が沢山球根を買ってきて植えた月下香の花が、
中庭の半分ほどを白く塗りつぶす。
微かな甘い香いに包まれた、ツガイの五回目の夏が来る。

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