2:青と赤

葵にとって「アヤさん」との出会いは、
あの寂れたデパートの三日間だけの催し物で、シュロルを踊っていた頃ではない。
葵にとってあれは初めて人前でシュロルを踊るというシチュエーションで、
冷や汗ダクダクの背中に安物の衣装が張り付いていた。
眼鏡を通さない視界がぼやけるのがありがたかったくらい、観客を意識しない事に専念して、
必死に間違わないように踊る事しか頭になかった。

葵が「アヤさん」に初めに触れた“出会い”は、葵の職場でだった。
繁華街の地下にある、隠れ家風の、バーのようなレストランのような所で
オーナーのカケバヤシ氏から基礎を学んだ彼女は、
和風でも洋風でもない味付けの、どちらかと言えばインド風と言えるかもしれない料理を作ったり、
それに合うような新しいカクテルを作る仕事をしていたのだった。

ある日、少し遅刻して出勤すると、
カケバヤシ夫婦が楽しそうに、レストランの真ん中の長いヒノキのテーブルの上に器を沢山並べている。
「どうしたんですか、それ」
目を丸くして入り口に突っ立っている葵に、カケバヤシ婦人が
「買っちゃった!全部、全部、買っちゃったの」と、笑顔で答える。
気まぐれで、新しい物好きなオーナー夫婦は、一ヶ月前に食器を全て買い替えたのに
もう新しい器をそろえたのだった。
いつもの事だ、と、半分その無邪気さに呆れながらコートを脱ぐと、
「ほら。アオイちゃんも触ってみなよ。すごくいいんだから」と、カケバヤシ氏が手招きをする。

その器たちは、外は気持ちよくザラザラしていて、内側はしっとりとした色の塗装で、
両手で包み込んでいるはずなのに、不思議と自分の両手が器に包まれているような感じがする。
どの器も同じだった。
テーブルの上にコトッと置くと、冷たく、じっとしているのに、
持ち上げた瞬間、鼓動が手のひらに伝わってきそうなほど、器は優しい呼吸をしているのだった。

***

朱人は都心の小さなギャラリーで、個展をひらいた事があった。
わりと有名な新人陶工のコンペで佳作をとった直後の個展だったので、人はそれなりに沢山来たが、
作品の評価は区々だった。

擬卵をテーマにした作品展だった。
本物にそっくりな卵を抱かせることで母鳥の体力が消耗されすぎるのを防ぐ擬卵を、
朱人は、いくつも、いくつも、作った。
色んな大きさや色、素材、重さを作り、
来た人達に触れてもらえるような展示をしたが、
作品の意味はなかなか理解してもらえず
最初のいくつかを触ったあと、残りの卵の前は素通りする人さえもいた。

しかし、その人は違った。
五十代後半の、半分禿げ上がった頭のオジサンなのだが
彼は擬卵の一つ一つをそのふっくらした手に取って、転がしたり、暖めたりしていた。

彼は三十分ほどウロウロしたあと、朱人がいる受付に歩いてきた。
「あの。この作品を作った岩崎朱人さんという人には、どうやったら会えますかねぇ?」
私ですが、と朱人答えると、彼は目を丸くした。
「すみません。想像していたより若かったのでびっくりしましたよ。私は掛林といいます」

***

「アオイちゃん、随分見入ってるねぇ。気に入ったかい?」
葵が顔を上げると、カケバヤシ氏がニコニコしながら葵の顔を覗き込んでいた。
「・・なんというか・・優しい器ですね」
葵の微かな笑顔に、その器の感触と同じくらい淡い物が浮かんだ時、
カランコロンと入り口のベルの音と共に男が大きな箱を持って入ってきた。

「すみません。よかった、間に合いました。
花活けの箱、車に積み忘れてしまったみたいで、自宅から持ってきました。」

堂々とした、大きな男だった。
それが、朱人と葵が初めてまじまじとお互いの顔を見た、始まりの日だった。

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