ねずみ

23時54分。
俺の夜は、これからである。
さびれたベッドタウンへと向かう終電には、
いつも通り、誰も乗っていない。

あたりをさっと見回し、車両に乗り込む。
いつもの位置、車両のど真ん中に座っていると、
ドアがしまる放送と共に、アレが乗ってきた。
さっき、駅のプラットホームで
チョロチョロとしているのを見かけてはいたのだが、
まさか同じ車両に乗り合わせてくるとは・・。

俺が大嫌いなアレ・・・。
名前を口にするだけで、吐き気がする。
小さく細いメスならまだしも、
オスはサイズも大きいので、嫌でも目に入る。
特にこの、夜の時間帯のアレは、
アルコールの匂いがプンプンしているのとか、
一匹でいるのに、突然歌うような泣き声をあげるのとかがいて、
まさに「公害」そのもの。
ああ・・いやだいやだ。

さて、乗り合わせてきたそいつは、かなり大きい類である。
アレも最近はさまざまな色のやつを見かけるようになったが、
そいつは、オーソドックスなチャコールグレイのタイプ。

そいつは、歌うような鳴き声を上げながら、
千鳥足で車両をちょろちょろと歩き回る。
のん気に天井の扇風機なんぞを見上げていたが、
俺がいるのに気づくと、何か悲鳴のような泣き声をあげた。
金縛りのようになり、腰を引いてこちらを睨み付けている。

さあ、戦いだ。
こちらに向かってくるのか・・隣の車両に逃げて行くか・・。

そういえばこの間、駅の公衆トイレの個室で、
アレと1対1になってしまったことがあったが、
その時のアレは、鳴き声を一つあげて走り去っていった。
今日もそうであってほしいが・・・。

しかし、今日のそいつは違った。
いきなり、俺に向かって突進してきたのである。
ものすごい形相をして、大きな鳴き声をあげながら、
まっしぐらに走ってくる。

夜を走り抜ける電車の中、さらに早く走って逃げる俺。
どうしてアレごときに、こんなにも走らされなければいけないのか。
やはり、横着して電車なんかに乗るよりも、
長年の慣れた裏道のルートを辿って、歩いて行けば良かった。
俺の夜はこれからなのに、こんなヤツのために体力を奪われるとは・・。

座席の間を行ったり来たり、夜の鬼ごっこは延々と続く。
勘弁してくれよ。
自慢の早足も、そろそろ限界だ。
普段わりとぼーっとしているように見えるアレが、
まさかこんなにも軽快に動けるとは・・。

俺は、ついに車両の角に追いやられてしまった。
そいつは、口元を恐ろしい角度に曲げると、
前足にずっと持っていた何かを、ゆっくりと頭の上に振り上げる・・

ヤバい!
これが噂の凶器か!
この間、やはり車内でアレと乗り合わせた俺の仲間が、
この凶器の餌食となって、死んでしまったらしい。
このままでは俺までやられてしまう!
完全に追いやられた俺は、身動きが取れず、奇跡を祈るのみ・・

その時。

電車が大きく動き、そいつの身体がグラリと傾いた。
そいつが床に倒れこんだのと、車両のドアが開くのとが同時だった。

しめた!今の内だ!
俺はそいつの身体を足蹴にして、
ドアから夜のプラットホームへと飛び出し、
車内に向かって「ざまーみろ!」と叫んでやった。

***

23時58分。
終電の電車が駅に舞い込んできた。
私は四角いライトを片手に、電車に乗り込む。

夜の車両確認は、厄介だ。
特にこの、終電に乗っているお客さんは、
お酒の匂いがプンプンしている人や、
一人でいるのに、突然演歌を熱唱しはじめる人などがいて、
まさに「公害」。
ああ・・いやだいやだ。

中ほどの車両に一人、その類のお客さんが、泡をふいて倒れていた。
オーソドックスなチャコールグレイの背広を着て、
書類かばんを片手に、なぜか車両の角で気を失っている。
私はその酒臭い中年の男を揺り起こした。

「お客さん。お客さん!終点ですよ」
「・・・・・あ!!車掌さん!」
「どうされました」
「ね、ねずみ!ねずみがいたんですよ!」
「どこにですか。いないじゃないですか」
「で、電車に乗ったら、車両の、ど、ど真ん中にいたんですよ!」
「それで、どうされたんです?」
「酒の勢いもあって、大声で捲くし立てながら、車内を追い回して、
とうとう角に追い詰めたので、
たまたま手に持っていた書類かばんを振りかざしてやっつけようとしたら、
電車が駅についた時の反動で転んでしまって・・・。
あいつ、僕を足蹴にして、チューッ!って大きく鳴いて消えました・・。
くう・・もう少しで・・あと少しであの公害の王様みたいなヤツを
やっつけられたのに・・・!」

***

さあ、俺の夜は、これからだ!
今晩は、喫茶店の裏のゴミ置き場へ、
パンの耳でも齧りに行くか!



















55 STREET / 0574 W.S.R / STRAWBERRY7 / アレコレネット / モノショップ / ミツケルドット