人魚

太陽に向って軽く握った手を伸ばすと、
私のこぶしの形に空に穴が開いたのが見えた。
こぶしを少しずつ開いていくと、
醜い手の形にその黒い陰は晴れた昼下がりの空を
スムーズに切り取っていった。

私というちっぽけな人間は、
きっとこの空と手の陰の境、
ジリジリと血潮が動くのが見えるラインの上を泳いでいるのだろう。
光でもない、陰でもないこのラインの上に・・。

私は狂気を演じているのか、本当に狂気なのか。
私は正気を演じているのか、実は正気なのか。
わからなくなった。
どちらとも言えなくなってしまった。

それがまるで人間じゃないようで、
しかしそこにすごく人間味を感じて、
私はパジャマの背中に寒気を感じた。

神崎 自子 (Yoriko.K.)
生年月日:1983年 9月3日
身長:158cm
体重:50kg

狂気と正気の真ん中に立つ女。

***

それはほんの小さな気持ちから始まったように思える。
「自分の思う事を全てぶちまけてしまいたい」

***

「よりちゃーん!教室戻ろうー。
ほら、もう制服に着替えなきゃ、次の授業に遅れるよぉー」
友達の声ではっとその事態に気づいた。
太陽に手を伸ばしている、まさに頭がおかしいと思われるかもしれないこのポーズをしている自分に。
ジャージ姿で、首をかしげたそのオトモダチは私に言った。
「あれぇ?何見てるのぉ?太陽?」
ワタシ ハ オモワズ コタエマシタ。
「・・・・見て・・掴めそうだよ」
「・・・ん?何が?」
「あの太陽。ほら・・この手の中に・・フッって・・」
オトモダチ ノ ミギアシ ガ スコシ ウゴクノ ガ ミエマシタ。
「・・あははぁ、そうだね、・・・さ、早く行かないと、遅刻しちゃう」
キーンコーンカーンコーン・・・

・・ザワザワザワザワ・・・
「おばちゃーん。メロンパン一つくださぁーい」
「ねぇ、アンパン買いたいんならさぁ、あと20円足りないよぉー?」
「あ、やばぁ!職員室に行かなきゃいけないんだっけ」
「ちょっとこれ持っててくんない?・・サンキュー」
・・ザワザワ・・ザワザワ・・・・・・・
そこにできていたのは、セイトのムレだった。
何も考えずに、ひたすらパンを選んだり、買ったりしている。
・・ザワザワ・・・
「やった!ヤキソバパン、最後の一個、ゲットォ!」
ワタシ ハ オモワズ カレノ ウデ ヲ ニギッテ イイマシタ。
「・・・そんなんで嬉しいんだ?幸せなんだ?」
コウソク イハン ノ ゴツイ ユビワノツイタ コブシ ガ フリオトサレルノガ ミエマシタ。
・・・ガッターーーーーン・・・
ドシャッ・・

・・・・キャハハハッ!
アーッハッハッハ!
「やだぁ!それほんとぉーう?」
「マジマジー!んでよぉ、なんと、そん時、そいつが・・・」
「・・・・・えぇーー!?信じらんなーい」
「マジだって。いや、これマジ話」
「嘘でしょぉー?」
「マジだってばよ!」
「うっそぉ、ちょーうけるんだけどぉ!」
あぁ、浅い・・・浅い・・・。
内容が浅すぎる会話が耳に入ってくる。
コンナ アサイ ミズノナカジャ、ニンギョ ノ ワタシ ハ イキテイケナイ。
・・・ガタン・・・、
ワタシ ハ オモワズ セキ カラ タチアガッテ、カレラノマエニタッテ イイマシタ。
「何考えてるの?そんなに浅い内容の話ばっかしてさ」
「・・・あ、あれ、神崎さん、聞いてたのぉ?」
「・・いや、それがよぉ、神崎、この間よぉ・・・」
「別に聞きたくないわ。どうせくだらない事でしょう」
「・・・いやぁ、くっだんねぇけど、結構おもしれぇんだよ、マジで!いや、本当、マジ話でうけるから!」
「さっきから思ってたんだけど、そのマジマジマジマジ言うの止めない?
IQ低く見えるわよ?余計浅く見えるわよ?」
フタリ ノ カオ ガ、「マジデ」、「チョー」ユガム ノ ガ ハッキリ ミエマシタ。

「ピンポンパンポーーン・・・
3年A組、神崎自子さん、神崎自子さん、
今すぐ職員室に行って下さい。
繰り返します、
3年A組・・・」
繰り返さなくたって分かる。
私はちゃんと耳だって、音に反応する機能だって持っている、ニンゲンなのだ。

「失礼します・・・」
ガラガラガラ・・・・
ピシャン・・・
ショクインシツ ノ センセイタチ ノ ヒョウジョウガ、イツモトハ スコシ チガウノガ ミエマシタ。
「あぁ、神崎、座れ」
「はい」
・・・・・・キィッ・・ストン・・
「あーっと、神崎、最近お前何か・・・悩みでもあるのか?」
「悩み・・ですか?」
「あぁ、その・・個人的な悩みは聞いてやれないが、まぁ、先生は・・・力になりたいとは思うので・・」
「なんでそんな事を言うんですか?」
「えーーっと、なんだ、その・・・」
「・・はっきりおっしゃっていいですけど?」
「・・・えっと、なんだか最近、クラスメートがだな、その、神崎の言動がここ数週間、少しおかしいと心配そうに言っているのを、
ちょっとさっき便所でたまたま、本当にたまたま聞いたものだから・・・」
フタツノレンズ ノ ムコウ、 フタツノ メ ガ、ミョウ ナ ウゴキ ヲシタ ノガ ミエマシタ。
「・・・それで?」
「えーっと、その・・お前は・・自分の悩みを相談できる人間というのは・・・
何人くらいいるのかな、と、先生は思ったりしたんだ、うん」
「一人です」
「・・・あぁ、そうか。それは、親友か?えっと、遠藤かな?岩田かな?」
「・・・自分」
スーツノ リョウカタ ガ スコシ サガル ノ ガ ミエマシタ。
「・・あぁ、自分か。そうかそうか。上手い事を言うなぁ、あははは」
「先生。他に用事はあります?」
「・・・いや?特にないよ」
「では、失礼します」
キィッ・・・・ガラガラガラ・・・ピシャン・・・

数日後。
聞き覚えのあるアナウンスを聞いた。
「ピンポンパンポーーン・・・
3年A組、神崎自子さん、神崎自子さん、
今すぐ保健室に行って下さい。
繰り返します、
3年A組・・・」
ナンデ アナウンス ッテ、イツモ オナジ クチョウ、オナジ セリフ ナンデショウカ?

・・・ガラガラ・・ピシャン・・
そこには眼鏡のタンニンと、見たことのない、営業スマイルのオバサンが座っていた。
「あーっと、神崎。まぁ、とりあえず・・そこに座りなさい」
・・カタン・・・
「えーっと、この人は・・・一種の保健の先生なのだが・・・
まぁ、良い人なので、とりあえず余談でもしたらどうかなぁ、と先生は思ったのだ、うん」
ホソイ リョウウデ ガ、フシゼン ニ クマレル ノ ガ ミエマシタ。
「田辺と言います。よろしくね」
「神崎自子です」
「・・・じゃあ、先生はこれで。
・・あーっと、神崎、次の数学の授業は、お前はさぼっていいから。
ラッキーだろう?あはは。じゃ、またな」
ピシャン・・・

「神崎さん、頭すごいいいんですってね?」
「・・・」
「いつもテストで学年5位に必ず入ってるって、クラスメートも言っているらしいじゃないの。
すごいわねぇー!」
クラスメートニマデ、キキコミチョウサ ヲ シタラシイ オバサンハ イイマシタ。
「・・・あなた、少しやせすぎているわね。まさか無駄なダイエットとかしてないわよね?」
「・・・」
シンチョウ158cmデ、50kgハ、ヘイキン ダト オモイマシタ。
「この間体育の授業、一週間で二回も休んだんですって?具合が悪いんじゃないわよねぇ?」
18サイノ オンナノコ ニ、セイリツウ ガ アル ノ モ、ワスレテイル トシ ナノカモシレマセン。

そのオバサンは数分、「恋人はいるの?」とか、「友達とはどんな事を話すの?」とか、
遠回りのように聞こえる馬鹿馬鹿しい質問をならべた後で、座り直して言った。
「・・ねぇ、これは担任の先生と、あなたのご両親とで賛成している事なのだけれど、
決して恥かしい事や、異様な事ではないから、リラックスして聞いてね?」
と、プレッシャーを十分にかけておいてから、オバサンは湯飲みを握り直して言った。
「あなたをね・・精神病院に入れたらどうかなって・・思ったのよ・・・。
あなたは成績もいいから、大学受験に向けてそんなに勉強しなくてもいいわけだし、
最近やつれて来たって両親も言っているから、ちょっと休学したらどうかな、って思って。
もちろんずるずるサボっているより、ちゃんと学校に来たいって思うなら、それでいいんだけれど」
「・・はぁ、じゃぁ、お願いします」
アッサリ キマッテ シマイマシタ。

***

真四角の白い個室。
窓際にゆれるカーテンに、少ししおれたはじめたコスモスが飾ってある。
この噴水の前から見えるあの白い部屋が私の個室だ。
でもその白い壁より、私はグレーのコンクリートの噴水をぼんやり見る方が落ち着くのだった。
私はそんな人だった。
黒と白よりグレーを好み、
赤と白よりピンクを好み、
緑と黄色よりはあいまいな黄緑色が綺麗だと思う。
高校を退学して一年経ってもまだやってくるオトモダチが
夏休みに真黄色のひまわりを持って来た時は、一時的に窓辺に飾ったが、
私は次の日、わざわざ花屋に行って、まだ季節が少し早すぎるために高い値段がついた、
小さいコスモスの花束を、買って来てしまったのであった。

意味もなく流れ続ける水をぼんやり見てやっと気づいた。
私の言った事は、全て無駄だったのだ、と。
私のやった事は、全て無駄だったのだ、と。
この流れ続ける人工的な水の流れよりも、もっと無駄だったのだ、と。
「自分の思う事を全てぶちまけてしまいたい」
ブチマケテモ、リカイ サレナケレバ、イミ ガ ナイ。
ピチチチチ・・・・
鳥の声を聞きながら、パジャマで座っていた。
フンスイノ ミズ ガ、 ナミダ デ ボヤケテ アフレダシマシタ。

私は狂気と正気の真ん中を泳ぐ人魚。
狂気と正気の渦の中、溺れ死にそうになりながら、日々をやり過ごす。

ブクブクブク・・・・。



















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