住宅事情

夕方の六時半、初めて形を崩しすぎずにできたジャガイモの煮物の形に、しばし見とれていると、
ドアのベルが鳴った。
ドアの方に向かう自分のスリッパの音を聞きながら、訪問者の事をおもった。

友春だろうか。
友春が、こんな宙ぶらりんな時間に私の部屋を訪問するわけがないと思った。
覗き穴から覗くと、隣の岡さんの顔が湾曲しているのが見えるのだった。

ああ、こんにちわ。
そう言いながらドアを開けると、
岡さんは、独特の『品定めの眼差し』で、じろりじろりと、私の背後の散らかった部屋を見てから、
私の顔のあらゆるパーツを、また、じろりじろりと見る。

あなた、お昼、お留守だったみたいね。
はぁ。
これ、お預かりしといたわよ。
ヌッと背中から何かが滑り出た。
どうやら、遠くに住む母から、また、あれが届いたようだった。
ああ、すみません。どうも。
ずっしりと重いダンボールを受け取った私の左手の小指と中指の間にあるそれを、またじろりと見てから、
岡さんは頭を引き、両肩を引き、足を引き、隣に戻っていくのであった。

開けると、中には二色刷りのちらしが、わらわらと入っている。
その下にはいつもの、ちらしに包まれた、あれと、真空パックのあれが、入っている。
いつもの事である。
封筒も入っていて、これは少しだけ珍しいことだった。
わくわくして読んでみると、内容は電話の会話が文字になっただけで、
その内容は、やはり、いつも聞かされる愚痴や、
いつも言われる「体に気を付けねばならない」だの、「鍵をきちんと閉めなさい」だの、
「夜遅くなるのならば男に送ってもらうこと、ただし信用できぬ男は選ばぬこと」なのであった。

煮物を皿に移し、真空パックに鋏で開け、それを皿に移して、
オレンジとグレーの、ベランダの柵の陰の形をしげしげと眺める。
テレビの音を聴きつつ、でもテレビの画面じゃない物を見ながら、ボーっとしている。
どうやらテレビの中では、なんちゃらという、遠い国の料理の作り方を説明していて、
それをやんわりと耳に受け取りながら、私は煮物をつつくのだった。

十一時四十分きっかり。
携帯電話が鳴る。
友春が、仕事を終え、くつろぎ終わり、風呂も入り終わり、耳も掻き終わり、寝る前の一時である。
話をする。
いつも話しているような話今日もする。
今日は、こういう話をされて、こうしたらこうなって、僕は穴があいた気分だった、とか。
でも、それをそうすると、そうなるから、やっぱりそうやっていたら、隙間ができるわよね、とか。

電話を切ったのは、十二時五分くらいだったと思う。
さて寝ようか、と思って、寝間着に着替え終わったところで、ドアをノックする音が聞こえた。
友春だろうか。
なんていうことは思わない。
私は自分の足を無音で前に進めながら、でも上半身は後ろに引くような格好で、ドアに近づいた。

穴から覗く。
覗き穴から覗くと、明らかに、隣の岡さんの顔ではない人の顔が、
岡さんがそこに立っている時と同じように湾曲しているのが見える。
背は低く、暗くて見えにくいが、どうやら女らしく、物凄い大量の荷物を抱えて立っているのだった。

ドア越しに、ドアの向こうの女に喋りかける。
「どなた様でしょうか」
すると、相手は、口ごもって、夜分遅くにすみません。などと、もごもご言っている。

と、なるはずだと思ったのだが、違った。
「ドアを開けてください。お願いします」
思わず言われた通りに開けてしまった。
そして、暗がりの下の女の顔を見たとたん私は思った。
面倒くさい事になった、と。

外人なのである。
一体どこの国から来たのかは、想像もつかないが、とにかく外人で、
さきほどは下を向いていたので、よく分からなかったけれど、
鼻筋が通った、目がくりくりとした、外人なのである。
美人である。非常に美人ではあるが、私にとっては、どうでもよかった。

私にとって、今『どうでもある事』は、
私が英語をほとんど喋れない事と、
女がどれだけこの国の言葉を喋れるのか、分からない事だった。
しかし、女は私の心配をよそに、ぺらぺらと喋り出す。

「あなた、多分気づいてなかったと思うますけど、私、あなたの隣人でした。
私は私の部屋を今日蹴りだされたでした。
部屋のお金、先週払うのを忘れてたでした。
とてもいいです、もし、あなたが私をあなたの部屋に住ませてくれたら。
私が別の部屋を探す日まで」

その時、岡家の壁の方から、
耳がムズムズするほど、聞き耳の気配を感じた。
私はとりあえず、女を家に入れた。

***

「えっと・・ああ、お茶、飲みますか?」
そう聞くと、女は「はい、お願いします。砂糖を二杯スプーン、お願いします」と答えた。
私はほうじ茶を入れる予定だったが、
砂糖入りのほうじ茶とはどんな物かとおもい、戸棚の奥からイエローラベルの箱を引っ張り出す。

紅茶を入れ、スプーンを添え、角砂糖のポットを添え、席に座った。
女は、ニコニコして、私を見ている。
私は、自分でも情けないくらい、困った顔をして、女ではない物を見ている。

とりあえず、どこの国から来たのか聞いてみたが、よく分からなかった。
発音のせいなのか。私がその国を知らないせいなのか。
聞き返す勇気もなく、ふわふわと、次の質問に移る。
女は私がどんなにつまらない事を聞いても、楽しそうに答える。
私は、理解できると馬鹿みたいに笑い、
理解できない時は、おもむろに頷いたり「ああ」とか「うぅ」とか唸ってみたりするのだった。

今度は女が私に質問する番に、自然となった。
名前を聞かれて、私は、高橋、と名乗った。
すると、女は「いいえ、いいえ、下の名前」と答える。
また、馬鹿みたいに、「あああぁ」と言ってから、マイコ、と、いう風に口を動かした。
すると女は「え?マイケル?」と、不思議そうに言う。
違う。マイコォゥ。
マイケォウ?
ノー、マイクォウ。

「私は発音がちょっとだけわかりません。
紙の上に書いてください。お願いします。」
うんざりだ、と思いつつ、Maikoと紙に書くと、
「ああ!!わかりました。メイコちゃんですね」と、嬉しそうに言う。
私は頷いた。
面倒くさくなったのではない。
それも、多少、あるのかもしれないが、
嬉しそうに笑った女の顔から、あまりにも甘い香りがタラタラと漂ってきたので、
私は頷いてしまったのだった。

***

外人、という生き物は、地べたに座ることで有名らしい。
「最近の若い子がそのへんに座るのは、元々は外人の真似で・・」とかなんとか、という話を、
そういえば私は、友春から聞いた気がする。
また、家の中を土足で歩き回る、というのを、
テレビだかなんだかで、子供の頃に見たことがあったかもしれない。

だが、それは、間違っている。
女が私の家の中で座る所は、ソファか、ベッドか、椅子であって、
女は、毎日、玄関できちんと靴を脱ぐ。

そういう事はきちんとしているのだが、根本的な清潔感がずれているらしくて、
私はこの小さな部屋の、妙な同居生活の中で、
耳の奥がかゆくなるほどイライラする事が、時たま、あるのであった。

使ったマグカップをすぐに洗わない。
洗ってもすぐ拭かない。
きまぐれで拭いた時は、それをまたシンクの横にコンと置いたりするので、
こちらとしては、どのカップが「水を飲んだだけ」なのか、「清潔」なのか、
見極めるのが、どんどん上手くなるのが常であった。

たまに、私は、そわそわと文句を言ってみるようになった。
「あのね、食器を使ったら洗って、拭いて、しまってほしいのね」
「あのね、雨が降る中を歩いた靴は、玄関の外で泥を少し落としてから、家に入ってほしいのね」
「あのね、ボールペンを使ったら、ペン先をカチって、しまってほしいのね」
女は「ああ!私は、わかりました」と言う。
が、その三秒後くらいに、「 なんで?お願いします」と聞かれたりするのであった。
私は、子供の「なぜなに」の質問のようなやり取りが面倒なので、
だんだん文句を言わなくなり、
言わないなら言わないで、それなりに我慢できるようになったのが不思議だった。

食事は、大抵一緒にする。
女はスプーンを使って、ふわりふわりと白米を口に移す。
一方私は、箸でカチャカチャっと食べ込み、
「ごちそうさま」の「そうさま」のあたりでは、もう席を立っており、
洗っておいてね、と、一応言い残し、
さっさと出かける支度をし、十秒後には、もうヒールを履いているのであった。

***

「何と同居してるって?」
事の経緯を話すと、友春は目を丸くして私に聞き返した。
友春が口に咥えていたサンドイッチからはみ出したレタスが口元から垂れている。
ああ。また不格好なものを見てしまった、と私は密かに思うのだった。
友春の嫌な癖や、友春の不格好なものを垣間見るたびに、
私は反射的に「友春が好き」というフレーズを頭の中でリピートし、
リピートすることで「友春の嫌なものを見た」という感覚を忘れるプロセスを行うのだった。

「だから、外人」
「外人、外人、言うんじゃない。名前は何ていうんだ」
おぼろげに覚えていた名前を、いかにも「私はその名前をちゃんと発音できます」という風に発表すると、
友春は、とりあえず自分の口元のだらしなさに気づき、
私が先ほどの不格好さに気づいていないだろう、と、勝手に想像したような顔で
レタスをパリパリと頬張ると、
「女か、その名前は」と言う。
「そうね。女だね」と答えると、
なら、いい、と無言で私に伝え、砂糖を三杯入れたコーヒーで、サンドイッチを流し込むのだった。
「友達とかいないのか、その人は」
「日本人の友達といる所は見たことないけど・・」
「じゃあ、外人の友達はいるのか」
「うん。でも一緒にいるのは、あんまり好きじゃないって言ってた」
「なんで」
「外人同士でいつも一緒にいると、つまらなくなるみたいね」
「で、いつ出て行くんだ、その人は」
「さあ・・新しい家が見つかり次第、出て行くみたいだけどね」

「そうか」と言って、私の左手をチラリと見ると、黙ってしまうのであった。

「・・で、この後、どうする?今日は」というのが、
次に友春の口が発音した、お決まりフレーズだった。
「・・そうね。決めていいわ」これもまた、私のお決まりフレーズである。
「・・疲れた。帰ろう、今日は。また今度な」
ということで喫茶店を出た、交際暦二年の二人であった。

駅まで送ってくれる。
改札で、私の右肩に手を当ててくれる。
これも、いつも通りだ。
「マイコ。愛してる。本当に愛してるから」
友春は別れ際いつもそう囁いて
九十度体を右回転させてから、人込みの中にスッと溶け込んで消える。
後ろからそれを眺める私はいつも、友春の背中が消える一秒前の瞬間、
周りの男の背中と友春の背中を比べて、どれも大して違わない事に気づくのだった。
いつもそうだ。
今日もいつも通りで終わってしまった。

今日は何を食べよう。
今日はどのテレビを観よう。
今日は岡さんと廊下ですれ違わないですむだろうか。
帰り道ではそういう事を、そういうような順序で考えると、いつもあっという間にマンションに着き、
必ずといっていいほど、毎日のように、岡さんとすれ違うのだった。

あなた、最近、誰かとお住みになってるみたいね。
はあ。そうです。同居してます。
背の低い岡さんは、私の鼻の穴を覗き込むような角度で、じろりと私を見て、
男のお方なの?それは。と言う。
いえいえ。そんな。
そうよね。そりゃそうよね。
そう言うと、明らかにガッカリした様子で、
『いつになったら結婚するのかしら』という目つきで、
私の左手の小指と中指の間のあれを、またじろりと見てから、
頭を引き、両肩を引き、足を引き、隣に戻って行った。

***

同居しはじめて、いつのまにか季節が変わっていた。
マイコがメイコになり、
いつのまにか「メイちゃん」と呼ばれるようになった頃に、
メイちゃんは、ボーイフレンドを持っていますか?といきなり聞かれた。
二人で紅茶と緑茶を飲んでいた時だった。
私はあまりにも唐突な質問に、驚いて、むせて、大げさな咳をする。
なんで咳きですか?
ああ、まあ、そうでもないだけど、唐突だったからね。
とうとつ?とうとつは何?お願いします。
まあ、それはどうでもよくて。
それでは、メイちゃんはボーイフレンド持っていますね?
ああ、うん。いるよ、一応ね。
なんで「いちおう」ですか?
なんとなくね。

女は困った顔をする。
「・・・それでは、メイちゃんは、メイちゃんのボーイフレンドのどこを好きですか?」
そして、私はもっと困った顔をする。
「何が好きって・・・全部好きだけどね」
「いい事。と私思います」

私が緑茶をすすっていると、女が言う。
「私もボーイフレンド、持っています」
ああ。日本に住んでるの?
「いいえ、いいえ、私のボーイフレンドは、置いてきましたです」
ああ、そうなんだ。寂しい?
「いいえ、いいえ、せいせいしました」
また甘い香りをタラタラ漂わせながら笑ってそう言って、紅茶を静かに流すのだった。
じゃあ、別れれば?
「はい、私は私のボーイフレンドとお別れほしいです」
どうして?

「彼は背が短いです。彼は料理ができないです。
彼はタバコたくさん吸いますですから、息、よくないです。
彼はキスも上手ないです。
彼はお仕事の話ばかりです、彼のガールフレンドはお仕事です。
私が私の国出るとき、空港に彼来なかったです。ミーティングはありました」

そこまで一気にペラペラ言ってから、ポツリと、
「でもとても愛しています。どうしたら嫌いになるのか分からないので、付合いあります」と言うのだった。

***

「・・外人はどうだ、最近は」
喫茶店で友春が会話の切れ目に、そういう台詞を挟む。
ここ最近よく唐突に飛び出すトピックだった。
その話題の飛び出しかたが、いつもあまりにも唐突なので、
毎回友春がそれを言うたびに私は、
子供の頃、いとこの家でやった「黒ひげ危機一髪」というゲームを思い出す。

私はげんなりしてしまう。 なんで、友春は同居人の事で、こんな小さな事で、ズルズル私を引っ張りまわすのか、と思う。
最近はデートをする時も、げんなりした気分で会い、
会っている間も、げんなりした気分で喋る

「さあ。不動産屋には行ったみたいね」
「・・そうか」

嘘だった。
女が、不動産屋に行っているとかそういう話を私にした事は、まだ一度もないのであった。
ただ、こういうあやふやな情報を与えて、友春が困ったりイライラしたりするのを見るのが快感だった。

これは、部屋の片隅で少しずつ大きくなっていく綿埃のように曖昧で醜い愛情表現で、
お互いの小さな仕草や表情を吸い込む事さえ、面倒になってきた私達には、
情けないほど、お似合いな形だった。
が、別れ際の「マイコ。愛してる。本当に愛してるから」を聞くと、
頭の中で何かがシュワシュワと溶けていく感触があり、私は安心するのであった。

***

私がテレビを観ていると、たまに女が無音で寄ってくる。
大抵、私が観ているのは、
映画ではやっていけなくなった女優が、遠くの国のなんちゃらという街に旅に行ったり、
何人かの芸能人が、画面に写る未知の食べ物についての調理法についてクイズ方式で当てたり、
そういう番組だ。

洗濯機のボタンを押しに席を立ったり、
携帯でメールを打ったり、爪を切ったりしながら、テレビを観ている。
そこに女は、忍び寄ってきて、
まじまじと、本当にまじまじと、見つめてくるのである。

枝毛を切る指先に、居心地が悪くなるほど強い視線を感じたので、
なによ?という目で見ると、
「メイちゃん、これ、テレビを観ていますか?」と尋ねてきた。
「ああ、うーん。観ているような、観ていないような」
「メイちゃんテレビ観ているのがとても好きですか?」
そうだろうか。
テレビを観るのが好き、というよりは、
テレビのスイッチが入っているのが好き、と言うべきかもしれない。

とりあえず「そうね。好きだね」と答える。
「あんまりテレビ観ないよね。そういえば」と言うと、
迷子の子供のような目で「でも、私はテレビ、わかりません」という返事が返ってきた。

わかるよ、日本語、上手いじゃない。
「はい。何を言っているのかは、わかります。でも、なんで言っているのか、わからないです」

何が言いたいのか。
「この箱の中に、違う世界があるのが分かります。
その世界では、中で喋る言葉は言葉としてわかります。
意味がないです。言葉だけ。意味はないです。音と同じです」
言葉の意味なんて別にないんじゃない?今観てるのだって、ほら、料理の紹介してるだけだよ。
そう言うと、「そうですね」と言った。
女は池にポツリと浮かぶ蓮のように、果てしない光を発しているように見えた。
一瞬、箱の中に入っているのは、女であって、私達ではないのかもしれない。と思わせるような、
そんな、遠くの人のような表情をして、
「メイちゃん、おやすみなさい」と言い残して立ち上がり、いなくなった。
私はなぜか、背後でドアが静かに閉まる音と「箱」の音に孤独を感じていた。

***

それから四、五日したある日だった。
仕事がいつもより早く終わって、マンションに帰ってくると、
私は階段を上ろうとする時に、岡さんは階段を降りようとする時に、お互いの存在に気づいたので、
頭を浅く下げたのだった。

うちのマンションの後ろにそびえる、オレンジ色に染まった背の高い集合住宅をバックに背負った、
逆光の岡さんが口を開いた。
「お決まりになったようね、新居」
そう言うのであった。
はぁ。何がでしょうか?
同居人さん。新しい所、見つかったんでしょう。

いつものように岡さんにふわふわした挨拶をする余裕もなかった。
岡さんの横をすりぬけ、階段を駆け上がり
ガチャガチャと鍵を開けると、
部屋には、もう、女はいなかった。
昨日まであった女の気配も、形も、においも、全てなくなっていて、
なぜかつけっぱなしになっているテレビからは、皮肉なことに、女がつけている香水のCMが流れていた。

テレビから、においがすればいいのに。
でも、CMの画面の、外人に見えるようにメイクをした我が国を代表する女優を眺めていると、
女がつけていた香水が甘いのか酸っぱいのか苦いのか辛いのかも、
思い出せなくなってくるのが不思議だった。
思い出せないと思うと、どうでもよくなってくるのももっと不思議だった。

***

女からは、もう何も、音沙汰がなかった。
親戚に子供が産れたり、社員食堂の値段が上がったり、母親からまた次の小包が来たりしている間に、
いつのまにか、もう大分寒くなっていた。
友春とは、別に何もなかった。
もう会わなくてもいいのに、と思いつつ、週に一回は必ずあの喫茶店で会ってしまうのだった。

ということで、今日もこうして、友春の前に座って、
ぺらぺらと愛想笑いを浮かべる私がいるのである。

話が、何回でも、爪切りで爪を切る時のような音を立てて、途切れる。
昔は、友春と話していると、まるでフラフープのように、
あらゆるレベルを行き来したり、何回でも同じ話題にかえったりして話していたのに、
最近は、話している時間よりも、考えている時間の方が多いのであった。

何回この私達は、喫茶店に着たのだろうか。
何回このカップから私達は茶色っぽいのやら、黒っぽいのやら、白っぽいのやら、
あらゆる飲み物を喉に流し込み、
今持っているこのカップは、何回友春の口に触れた物なのだろうか。
あと何回、二人でここに来るだろうか。

ふと気が付くと、もういつもの改札にきていた。
「じゃあ、また」といって、改札の前で別れた。
あの魔法の言葉を彼は言ってくれたのだろうか。
それを確かめる余裕も、必要もなくなった私は、
人の群れに押されるように、改札を抜ける。

電車を待つプラットホームで、またぼんやりと考え事をする。
今日はどこで買い物をして帰ろう。
今日は夜誰に電話して時間を潰そう。
今日は友春から電話がかかってきたら、取るのをやめておこうか。

電車はなかなか来ない。
少し、ムズムズしてくるのであった。
どうせ用事もないのに、
早く帰ってもまた一人で料理して、一人で食べるだけのことなのに、
待つのが面倒なのだった。

電車の時刻表を見に行って時間を確かめる。
確かめて、時刻表から視線をずらした瞬間、体の芯がズキンという音を立てた気がして、
私は歩きかけた足を止めた。
時刻表と広告の二枚の板の隙間から見下ろせる、ポチポチと並んださびれた店の一つに、
何か大きな違和感があったので、私はその10cmの隙間から、その店を見つめた。

不動産屋だった。
そして、その中に、見慣れたオレンジのコートを見つけたのだった。
女だった。
そんなに長い月日が過ぎたわけでもないのに、
前よりも少し老けて、
顔がよりいっそうホッソリした女の姿が、そこにあった。
何か必死に話しをしている。
私の家でそうだったように、まっすぐな目で相手を見て、一生懸命何かを言っている。

私の家を出てから今日までの間、ずっと宿無しで暮らしていたのだろうか。
「外人の友達」と一緒にいるのは好きではないと言っていた女に、
大量の荷物を抱えた、宿無しの女に、
優しく手を差し伸べてあげられるそんな友達が、いるのだろうか。
多分、いないだろう。
私自身も、結局は何もしてあげられなかったのだ。
私がもし女と同じ母国語だったら、女を救うことができたのだろうか。

ふと、フラッシュバックしたのは、友春の姿だった。
あの女と違って、安っぽい光沢がある言葉だけをヒラリヒラリと操り、
それを盾に自分の本性は決して言わない、友春の姿だった。
「言葉の意味なんて別にないんじゃない?」
そう女に言い放った数ヶ月前の幼い自分を思い出して呆然の立つ私の後ろを、
電車を待つ人が、乗る人が、降りる人が、ザワザワと人間独特の匂いを発しながら、
群れを成して移動するのであった。



















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