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小池君
たまに、ずっと何かの音が連続して聞こえている時がある。
電話のベルのプルルルルという音が、
ずっと聞こえている時がある。
プルルルルルルルルルルルルルルルル・・・・。
ずっと聞こえている。
ああ。硬い。それは耳にとても硬い。
右の耳から入って、鼓膜を突き破り、
左耳の鼓膜を内側から突き破って外に飛び出し、
目の前を、上下に、見せ付けるようにジグザグに通ったあと、
我が物顔で、綺麗なループを描いて右耳にまた入っていく。
そんな時は、どうしたらいいのかわからなくなる。
MTVを観て、バイト先の、好きなあの子との会話を思い出して、
でも舐めた飴は、味が口に広がる前にガリガリかみ砕き終わってたりして。
どうしようもない気持ちを、女々しく吐き出したい時にかぎって、
友達は電話してくれない。メールを打つのも面倒くさい。
まだぬくもりがあるベッドに倒れ込んで、眠ろうとしたら、
家が老いる音が聞こえる。
眠りに落ちようとすれば、するほど、
どんどん、老いる、音が、する、ので、
唸りながら跳ね起きて、部屋を出て、商店街の石のタイルを突き進んで、電車に乗ってみる。
何なんだろう。何がおかしいんだろう。
隣の車両の人々が、こっちの車両のはしっこの窓から見える。
それは全部疲れた顔で、みんながみんな、違う方向をみていて、
昔、夏休みのすんごい暑い日の動物園にいた、
こっちをちらりとも見ない、夏ばてした動物達みたいだったりして。
そんなことを思っていたら、気づいた。
ああ。イライラしてるんだ。何かおかしいと思ったら。
それで、それは、今俺の気持ちに、それで、俺自身にも、行き場がないからだろう。
そんなことはとっくに気づいていたけれど、
認めたくなかっただけ、っていうことにも、気づいてしまった。
昔行ってた中学がある駅にたどり着いた。
なんとなく降りて、なんとなくキオスクでチューインガムを買って、なんとなく進んだら、
めのまえにあるのは図書館だった。受験勉強の時よく行ってた。
それで、勉強はほとんどせずに、寝てばっかりいた。
あの図書館。めのまえにあるんだから、まあ、入ってみようか。
あぁ、イヤホンの両耳からダンディーな声で「nothing but your love」とか歌わないでくれ。
リモコンのボタンを強くブチッ!!!って押したけれど、
イヤホンからはお決まりの、「ピピー」って音が聞こえて曲が止まっただけ。
あんなに強く押したのに、MDの寿命が縮んだだけ。
バイト代の○パーセントが一気に減る日が近づいただけ。
図書館の中は、前よりも小さく感じた。
色が薄く感じられて、よそ者だね、君、っていう視線が少し集まる。
それは重なって、レイヤーになって、すっかり俺はそれに包まれた。スッポリと。
昔は居場所があったんだけどなぁ。
そんなのは、もう、今更、証明なんて、ははは、できない。
本でも読んだ、落ち着くんだろうか。気が紛れるんだろうか。
せっかくだから昔読んでたやつを。お気に入りの小説。
と思って自習室に行ったら、人は一人しかいなかった。メガネの中学生。
細長くて仕切りがない勉強机は、最後の晩餐みたいだ。
前いつも座ってた、奥から三番目の席に座る。
小説をさっさと読み終えたら、一人になっていた。
ふと我にかえると、雨の音が聞こえる。
天井の四角い窓に雨粒の全部が叩き付けられて、
痛い音がする。バチバチバチ・・。
二冊めを取りに下に降りたら、突然の雨に打たれて、ずぶ濡れのまま入ってくる人が見えた。
椅子に戻って、二冊めを読みはじめた。
途中までいって、顔を上げたら、めのまえの席に人がいる。
黒の詰め襟の制服。中学二年くらいの男の子だ。
こけしみたいな顔だ。目がほそっこくて。
無視してようと思ったら、あっちから声をかけてきた。
「そこの席に座ってるとさぁ」なれなれしい口調だ。
「よそ者っていう気分になってこない?」
「どこの席に座ってたって、図書館じゃ“よそもん”だ、俺は。もう学生じゃないからね」
学生じゃない、だから、学生のお前とは話題も合わない、から、あっち行けよ。
「僕の席なんだ、そこ」
テレパシーなんか通じない。気持ちは、どんな気持ちでも、言葉にしなければ、通じない。
「なんだお前は。縄張り主張か」
「うん。あー、でも今日だけは兄さんにゆずってあげる」
何を偉そうに、と、思ってたら、
「いつも座ってたんでしょ?そこに。昔」と付け加えてきた。
こいつ、何を知ってるんだか知らないが、
何回も読んで、台詞を覚えてしまった本よりは、暇つぶしになりそうだ。
そっちこそ何してるんだ、こんな変な時間に、制服で。
今日、提出物出したら帰っていいことになってんの。もう学期末だしね。
あー、そう。と、言いながら、提出物、っていう物の響きの懐かしさをバリバリにかみ砕いていた。
自分の中学生だった頃の景色とか匂いが、ものすごい勢いでフラッシュバックしたあと、
目の前の奴をみて、ふと気づいた。
詰め襟で、赤の校章。見覚えがありすぎる、名札の形・・・。
「あー、兄さんもこのへんの学校通ってたの?じゃあさぁ、○中じゃない?俺も○中学校」と言われた。
そうだよ、なつかしいなぁ、その制服。なんか忘れてたよ、と笑って返した。
昔の先生の話がはずんだ。
あの先生はまだいる?まだちゃんと髪の毛生えてる?とか。
「うんうん。まだ生えてるよ。でももう寂しいよね」と言って、あっちも笑う。
こっちがひたすら昔の話をすると、
名札に『2−b 小池』とある彼は、アルバムをめくる時みたいな表情で、楽しそうに笑う。
兄さんさぁ、勉強、っていうか、学校、嫌いじゃなかったんじゃん?と、ふと言われた。
嫌いだったよ。と、言った自分、の、目、が、見えないハエをおっかけるみたいな動きをしたのが自分で分かった。
「嘘つくの、下手なんだね」と、年下に笑われて、
つられてまた笑ってしまった。
笑って、緊張がほどけて、普段言わない事まで、口から漏れ出す。溢れ出す。
「まあ・・勉強は嫌いだったり、嫌いじゃなかったりしたけど・・」
うんうん。
「でも・・クラスの雰囲気とかは好きだったな・・。
なんか、体育の後は異様に眠かったりとか、
机の・・木の匂いとか・・黒板に字を書く先生の頭がはげていくのを観察したりするのとか・・・」
「うん、好きだったよ。学校は。楽しかった」・・と締めくくろうとしたけれど、
こっちも喉が詰まって、あっちも理解してるようだし、
少し、お互いに黙ってしまった。
あっちが、無言で「どうしてやめた?学校」ときいてきたので、
こっちは、無言でやりすごしきて誰にもちゃんと説明したことなかった気持ち、を、はじめて声にして絞り出す。
学校ってさ・・一つのサイクルで動いてるだろう?
小学校卒業したら、また三年あって、その三年も、学期に区切られてて、それ卒業したら、上に、また・・あって。
それに・・授業が終わる時間、はじまる時間、・・成績表とか、中間試験とか・・クラス変えとか・・。
喋るにつれて、イライラが少しずつ消えていくのに気づきながら、喋った。
自分の声が、静かに組んだ手のひらとか、ポロシャツとかを通して、自分のスポンジの心に吸収されていく。
「そういうのが、耐えられなかった・・・」
目の前の現役中学生の彼は、「え?なんで?」という顔をした。
「なんか・・そうやって下手に区切られると、いつか、今の友達とかと別れるまでの時間が、
刻々と迫ってくるっていうのが、はっきり見えてさ・・。」
「あー・・。・・・でもさぁ、また作ればいいじゃん。新しい友達」
「いや、そうなんだけど。それで、新しい友達を作れば、古い友達の数も減って、
それは自然なことで・・・自分が持てる友達の数なんて、大体決まってるだろう?
自分の生みの母さんが一人なのと同じで、大体何人、って決まってて・・」
「あー、ようするに・・・」『小池君』は、ずるずる喋り続ける俺を止めて、
全てを単純化して、「恐いってこと?卒業するのが。終わるのが」と言った。
「まあ。そういうことかな。なんか、今、全部止まってくれ、とか思うんだ。
別に、今がベストなんだ、なんて思ってない。
未来が真っ暗だから、もう人生続けたくない、なんて思ってるわけじゃなくてさ・・
ただ単に・・なんか・・色んな意味で・・痛くて。
でも、痛いのに、学校にいると、どんどん時間が過ぎていくだろう?それが嫌だったんだ」
「そんで、卒業しなかったの?っていうかさぁ、兄さん、いくつなの?」
自分の歳を言うと、「老けてるね、見かけが。色々知りすぎだよ。青春楽しんでる?」と『小池君』は言った。
「・・・そんで、今はバイトとかしてるの?そういうのってさぁ、どうなの?」
「バイト・・とかして、独学で・・語学やったりして・・・まあ、充実してるけどね」
へー、そっかぁ・・と言ったあと、彼は自分から喋りはじめた。
あー、兄さんが言うこと、僕、なんとなくだけどさぁ、分かるな。
「そうか?」と、目で聞き返すと、彼は続けた。
「だってさぁ、人との別れとかってさぁ、もっと自然じゃなきゃいけなくない?
卒業式とかで、今日でお別れです、って、みんなでザーザーに泣いたり、アルバムに書きあったり・・。
後で、違う友達できてから、その日のこと思い出してさぁ、無駄に世知辛くなるだけじゃん・・」
言いたかった事は、大体通じていたらしい。
「僕は、一生・・したくないなぁ、卒業。っていうかさぁ、卒業式がいやだ」
と、まだ幼い彼は言った。
「何言ってるんだ。そっちはまだ中学生だろう。これから高校も、大学も、行こうと思えば大学院まであるぞ?」
「じゃあさあ、卒業式の前の日に引っ越そうかな。それで学校もう来ないってのどう?」
ははは、じゃあ、そうしろよ、と言ったとたんに、携帯がポケットで震える。
嫌みなタイミングで舞い込んだジャンクメールを消したあとに、
ふと思った。
「君、えっと、小池君か、また暇だったら会おうか。
どうせこっちはフラフラしてて、暇なんだし。とりあえず電話番号よこせよ」
すると彼は立ち上がりながら言った。
「あー、僕さぁ、携帯ないの。面倒じゃん、携帯なんて。
それに、別れもさりげなくなきゃいけないなら、出会いもさりげなくなきゃいけない。」
彼はそう言っておいてから、付け足した。
「あー、でも、また図書館ででも会うかもね。そしたらまた暇つぶし相手になってあげるね」
そうだね。と、俺は彼に笑った。彼は、バイバイ、と、手をふると、ドアから消えた。
一人取り残された俺は、小説の残りを読むのも、馬鹿馬鹿しくなって、
図書館を少し、うろついた後、MDの再生ボタンを押して、図書館を後にした。
そうだ。小池君の、それで俺も行ってた、中学校にいってみよう。と思いたった。
雨は小雨になって、グレーの曇り空は、当時の担任がいつも着てた背広の色を思い出させていた。
ひさびさの中学校は、懐かしい匂いがした。
しかも、ただ単に、学校の匂い、ではなく、雨の学校の匂い、がした。
それを沢山、深呼吸で吸い込むと、
自分が中学生に戻った気がして、
あの黒い制服を着てた時みたいに、気持ちがだるくなって、シャンとした。
もう人の気配があまりない放課後は、雲の色が教室中に映し出されて、
学校を好きだった日もあったけど、こういう日は大抵学校は好きじゃなかったのを思い出す。
教室を出て、廊下や掲示板にある、顔も知らない生徒の名字の数々を、みて歩いたりして、
ひさびさに落ち着いた気持ちで、満足して、トロトロ歩いて校門を出る時に、
俺は校舎から出てきた、部活帰りの七、八人の生徒に追い越された。
何か違和感があった。
雨の中を早足に歩いて行く彼らの背中に、何かひっかかる物があった。
少し静かな恐怖感にずっと覆われたまま最寄りの駅に着いた。
携帯にメールが入って、それは好きな子からだったけれど、
それどころではない、と、思ってしまった、くらいに、すごい違和感。
帰りの電車の中で、少しずつ違和感が消えて、と、いうか、どうでもよくなってきて、
好きな子へ返信メールを打つ。
打ったあとに、その子のことを考えて、
そのつながりで、バイトの事を考えて、
ああ、バイトの制服、アイロン当てなきゃ、と思いだした。
制服・・・。制服・・・。
そして、違和感が、恐ろしいスピードで消えさった。
あの部活帰りの七、八人の制服は、もう、詰め襟ではなかった。
それは、紺のブレザーで、ネクタイの制服で、
もうずいぶん前、数年前に、同じ中学だった友達が「制服、新しくなったんだって」と言っていた。
『小池君』は、数年前になくなった詰め襟をどこかで買い付けて、
「コスプレ」的なことをするような男の子だろうか。
さっき通りかかった二年生の教室の外のロッカーの「か」行に、
彼の名前はなかった。
降り立ったプラットホームは、雨で寂しく、静かに光っている。
何が起こっていたのか、
何が起こっているのか。
自然に早足になる。
MDの電池がきれて、ピーッという音が聞こえた。
彼の色んな発言を思い出して、答えを探し出そうとした。
「いつも座ってたんでしょ?そこに。昔」
「僕は、一生・・したくないなぁ、卒業」
「だってさぁ、人の別れとかってさぁ、もっと自然じゃなきゃいけなくない?・・」
「恐いってこと?卒業するのが」
恐い・・・のか?卒業するのが。
そういうことなのかなぁ。
何も分からなかった。
思い出しても、考えても、分からない、ので、ほっておこうと思った。
どうやら、こういうことは、自然に流さなきゃいけないみたいだし。
チューインガムをポケットから出して、口に入れて、噛んで、捨てたら、忘れよう、と、思ったりした。
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